掛軸:太田道灌 山吹の里
私が唯一所持している掛軸を紹介します。
益田玉城作 太田道灌 山吹の里
江戸庶民から大変な人気を誇った太田道灌は色々な逸話が残っていますが、特に有名なのがこの「山吹の里」です。
◆内容
ある日のこと、道灌は鷹狩に出かけたが、雨にあって民家に駆込む。すると出てきたの は少女であった。道灌が「すまないが蓑(みの)を貸してほしい」と声をかけると、その 少女は黙って山吹の花を差し出す。意味が分からぬ道灌は怒り、濡れながら雨中を帰った。
その夜、道灌は家臣から、
「七重八重 花は咲けども 山吹の 実の一つだに 無きぞ悲しき」 という歌があることを聞かされる。少女は「蓑(実の)ひとつない貧しさ」を山吹に例え たのである。「私は歌道に暗い」と自らの不明を恥じた道灌は、その後歌道に精進するよう になったという。
この逸話は、貧しいながらも風流な心を持つ少女を称えるとともに、道灌の勤勉さや素直さが如実に感じられるエピソードとなっています。
その後の道灌は色々な歌を残していますので、またいずれ紹介することにします。
なんともいえない山吹の色合いが、切なさを誘いますね。
このシーンを切り取った銅像が関東にいくつかありますので、是非探してみて下さい。
この逸話の真偽は不明で、創作の可能性も高くはあります(別記事の太田道灌研究資料でも触れています)が、歴史はそういった側面があってもいいのかなと。
よく見ると雨も描かれています。
柔らかい筆使いです。
この少女は「紅皿(べにざら)」といい、元は高貴な生まれであったのが何らかの理由で貧しい暮らしをしていたようです。
歌の心得があったのはその為。
このことがきっかけで後に太田道灌に江戸城に招かれ、歌の友となりました。
太田道灌が亡くなると、出家して今の大久保に庵を建て、道灌を弔ったといわれています。
益田玉城は日本画家です。
今は自宅マンションの茶道稽古スペースに飾っています。
太田道灌を扱った作品としては、かなり大型で貴重な部類に入るかと思います。
元々は226cmありましたが、茶室の床の間に合わせ195cmに仕立て直しております。
必要に応じて貸出も致します。ご相談下さい。
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